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マリー・アントワネット

よく「語られていた歴史が本当のことだったのか」とかと言われているフランス王妃のマリー・アントワネット。

Marie

でも、成人した人なら、歴史などである程度知っていることかもしれませんね。

びっくりするのはこの今の時代に、まだ次のことにこだわっている記事が多く見受けられます。

○マリー・アントワネットの中傷や同情○
淫乱→不義とすればフェルセン
首飾り事件の被害者→そうなのかも。
裁判での母子姦通→捏造。
赤字夫人→そのとおり!
ルソーの告白にある「パン」のお話→別な人。
牢獄での不自由な生活→結構快適だった。

これらの中傷がマリー・アントワネットへの流言飛語を生んで、処刑されたみたいになっています。

■それで実際にどんな「デマ」が飛んだの?

○デマのひとつ「マリア・テレジアが獣と姦通して生まれたのがマリー・アントワネット」○

こんなデマで、これを信じた国民がいるでしょうか?それは単なる揶揄とかで面白がって言われたもの。

中傷やデマが流れて、名誉回復されたというのはもう、170年も前のこと。このことをいつまでも記事ネタになるのってスゴイです。

■そして
「国が傾くほどの浪費をしていたわけではない」とマリー・アントワネットといわれるけど、毎年国庫から王室費や王妃の年金がでているわけ。

■王妃の年金400万リーヴルを1リーヴル¥1000で計算してみると40億円。その他に衣装代、王妃のお手元金がでる。しかもドレス1着が1000万前後から30億という幅広いお値段だったみたいですが、30億というのは、もしかすると1リーヴル=10,000の換算方法を使っているかも。

■なにより、年間170着を購入していたという事実があるので、1000万としても赤字。

王室費、王妃の年金の記事
フランス革命下の一市民の日記 1791年 5月

お手元金、衣装代の記事
マリー・アンワネットのドレス ローズ・ベルタン

■「赤字夫人」は先代(ルイ14世、ルイ15世)からの浪費、戦争の累計の結果が王妃に中傷として用いられたってみんな記事にしてる。スゴイものは、ルイ16世に愛人がいなかったから、矢面にされたっていう記事。

■もちろん、歴史小説や漫画からのネタなんでしょうが。ただ、王権神授説の時代は、王や王妃を批判することはできないから、寵姫が対象になる。

短絡的に「ルイ16世に愛人がいなかったから」ではちょっとデマっぽい。ルイ16世の時代は王権神授説よりルソーの社会契約論が世論に登場する頃だもの。

Marie Antoinette, Queen of France (1755-1793), while Dauphine, in 1773,

○事実のひとつ「国庫が空で、マリー・アントワネットはルイ・ジョゼフの葬儀代が出せず、ルイ16世は銀器を売った。」○

■王室費を¥1000で計算してみてください。そして王妃の年金にお手元金、衣装代をプラスしてみてください。

王妃は戦争代を出しているわけではありません。国の借金を返済しているわけでもないのに、葬儀の費用はだせなかった。

■これって先代の赤字の累計が問題なの?

というか、みんなが知らないフランス史ということで、済ませちゃってるのかな?

■ルイ16世は先代から引き継いだ財政赤字の責任を一身に負わされ、その財政の赤字をネッケルの登用で2年で解消する予定となったんだけど、王室費が減額されることで、マリー・アントワネットと取り巻きたちが圧力をかけて財務長官職を解任させたのよね。

しかもバスティーユ襲撃は、ネッケルの解任の一週間後。1789年7月14日でした。

わたしはマリー・アントワネットの大ファンで、友人のブログのマリー・アントワネットの肖像画をみるだけで、とっても楽しくなります。内容も濃い!

記事 マリー・アントワネットが愛したもの

それで、たまーにヨソさまの記事も見ることがあるのだけど、なんかマリー・アントワネットのデマと中傷の名誉回復の小話だけに集中しているので・・・。ですから、リンク先はおすすめ。

■もっとすごい悪事を企むくらいの王妃だったのよって、その大物っぷりを紹介したかったのです。

記事 フランス革命下の一市民の日記 1792年 4月 

■フランス国民があんまり騒動を起こすので、諸外国に情報を流し、フランス国民を威嚇する王妃の作戦は戦争に発展。

記事 フランス革命下の一市民の日記 1792年 8月

■これだけでも、中傷やデマからフランス革命が起こって王妃は処刑されたんじゃないです。「マリー・アントワネットは近親相姦の罪を着せられた後、ギロチンにかけられた。」としている記事もあります。

■アントワネットが自国を危険にさらした証拠が届かずという一件を、お粗末にも事情を抜きにして語られている「近親相姦の罪を着せられた」という記事に、首を傾げたくなる。

そんな小物の王妃じゃないですから。

■sweet さん、楓さん、aleiさん、TBありがとう!記事アップしたんですね。ほやほやのマリー・アントワネットの記事です。

記事 マリー・アントワネット 記事紹介

記事 フランス革命下の一市民の日記 1793年 10月

記事 ブルボン朝の王妃 マリー・アントワネット さらば、王家よ

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» マリー・アントワネット マダム編 [sweet-sweet-sweet]
このマリー・アントワネットの肖像画は、どこかのクラブのマダムのよう。 結構マリー [続きを読む]

受信: 2010年12月23日 (木) 15時24分

» フランス革命下の一市民の日記 1793年 10月 [remove]
このセレスタン・ギタールの日記は、ほとんど毎日のように綴られている日記から、僕がトピックし、引用・要約(かなり短く)しているので、フランス革命下の一市民の日記 セレスタン・ギタール著 レイモン・オベール編 河盛好蔵藍訳 中央公論社 を実際に読んでみてください。この記事で注釈をしていないところなんか、インターネットで自由に検索すれば答えがでてきます。感想のほか、この日記や注釈で、あれっ?って気がついたところは、僕なりにコメントしてます。で、気がつかないところもあります。以上。1793年フランス革命下の... [続きを読む]

受信: 2010年12月23日 (木) 17時29分

» ブルボン朝の王妃 マリー・アントワネット さらば、王家よ [Life Style Concierge]
マリー・アントワネットと子ども達 1782年シャルル・ルクレルクこれはエリザベート王女をウェヌスの処女にたとえて描いた作品と同じ画家です。1782年ですからマリー・テレーズとルイ・ジョゼフ。ルイ・ジョゼフは、ルイ16世の第3子で、はじめて世継ぎの男の子として誕生しました。これまでのマリー・アントワネットの記事過去記事 マリー・アントワネットが愛したもの過去記事 王太子妃 マリー・アントワネット 4つの不吉過去記事 ハプスブルグ家 マリア・アントーニア過去記事 マリー・アントワネット フランス紀行から... [続きを読む]

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